本誌での連載初回にも説明しましたが、ルールがしっかりあり、ルール違反をしたらこうなるというようなメタルールも決まっていて、それが子どもたちにも教師たちにも公平公正に運用されていること。これが大事です。まず幼稚園側にその点を尋ねてみてはいかがでしょう? ルール・メタルールが明確で公平公正に運用されているなら、ミズキちゃんはコミュニケーションを、幼稚園側はミズキちゃんの特性を学ぶチャンスと考えてみては? ミズキちゃんには幼稚園のルールを説明し、どのように先生に話したらいいか教えてあげてください。
問題は幼稚園側のルールが不明瞭の場合です。そのときには、おひとりではなくPTAなどを通して、今一度幼稚園のルール作りについて保護者としても一緒に考えたいと打診してみては? 幼稚園や担任の責任を問うだけでは問題は解決せず、デメリットを受けるのは子ども本人と私は取材を通して常々考えています。
アイちゃんの場合、今回の事件はコミュニケーション能力や対人関係能力を高めるチャンスと考えてはどうでしょう? 「私は今絵を描きたいの」と言ったら相手が「無視した」と受け止めた......。ならば、相手が「無視した」と受け止めない方法で情報を出す訓練をしてみては? 今やっていることをとりあえず一度やめて、相手の子の顔を見てから「誘ってくれてありがとう、うれしいな。でもごめん、今は私はどうしてもこれをやってしまいたいの。だから次の休み時間に一緒に遊ばない?」などと伝えるように教えてあげてください。ポイントは、自分の気持ちだけを伝えるのではなく、相手の気持ちは分かっていること、それがうれしいことなどを、相手の注意を引きつけてから伝えることです。
習熟度別授業は、全国の自治体で広く取り入れられている指導法の一つです。ただ学校によって導入の仕方はいろいろ。算数(数学)だけに入れているところもあれば国語や英語にも入れているところもあります。また、単元ごとにクラス替えをするところもあれば、学期ごとに変わるところもあります。クラス分けも学校側が保護者の承諾を得ながら決めるところもあれば、子どもに選ばせるというところもあります。また学年を超えた習熟度別授業を展開している学校も。いずれにしても、グループ分けして細かく丁寧に指導することで子どもの理解度を少しでも高めることが目的です。
さて、リサちゃんが「私ってバカなの?」と落ち込んでいるとのこと。メールには悩む彼女の様子が詳しく書かれ、私もとても胸が痛みました。
そんな中で「今すぐ」できることは何でしょうか? まず、①習熟度別授業は悪いことではないのですから、その意味と目的をしっかり言葉で教えてあげてください。人間には誰でもいろいろな能力があり、その能力にも差があること、だからといって威張ったりあきらめたりするのではなく、人は誰でもその能力に応じて最大限の努力をすることが大切である望ましく、それがその人を成長させることなどです。
それから、②苦手なこと・できないことばかりに目を向けるのではなく、できること・得意なことにも気持ちが向かうように指導してみてください。大事なことは「できないことは頑張って少しでも底上げ」し、「できることはもっとがんばって伸ばす」。このバランスが自分自身の特性を知ることになり、それがセルフ・エスティーム(自尊心・自己評価)の向上につながります。好きなもの、打ち込めるものがあることは、多少の失敗も乗り越えていく力(弾力)にもなっていくのです。
学校現場を取材していると、「あの子はやればできるのにやろうとしない」「怠けている」「教師の指示を聞かない」「授業中に立ち歩くなど態度が悪い」というような話をよく耳にします。ですが、私は子どもに直接会うまでは、それらはあくまでも「教師の視点」と受け止めるに留めます。そもそも「指示を聞かない」「立ち歩く」ことで"困っている"のは学級経営のことを考える教師のほうですし、「やればできる」「怠けている」と考えるのも教師のほうです。
「やればできるのにやらない」「怠けている」と大人から見える子どもの中には、認知(ものの見方・考え方)に課題があったり、学習スタイルが異なっていたりする子が少なからずいます。要は、その指導方法が子どもの認知や学習スタイルに合っているのか? そこをまず検討する必要があります。漢字を10回書いたら覚える子もいれば、100回書いても覚えない子もいるのです。そのとき、大事なことは200回書かせることではなく、「この子が視覚型ではなく聴覚型の学習スタイルのほうが優位かもしれない」という視点を持つことだと私は考えています。この視点に立てば、指導方法も、たとえば漢字を分解し「たてたてよこよこ」など音にして覚えさせる、砂の上に書かせるなど触覚を使って覚えさせるなどいくらでも工夫ができます。
ちなみに、私は「落ちこぼれ」という表現は間違っていると思っています。すべての子どもは、その認知と学習スタイルの多様性に応じて指導される権利があり、そうやって指導され、本人もがんばれば「落ちこぼれ」ることはないはずだと考えるからです。本人の努力不足や家庭のしつけを問題にするまえに、教育関係者には自分たちの指導方法がその子の認知や学習スタイルに応じたものなのか、見直していただきたいと思っています。以前取材した、英国のディスレクシア(読み書き困難)の世界的権威であるイアン・スマイズ博士は「読み書き計算や推論が苦手なLD(学習障害)や学力不振はteaching disability(指導する側に原因があって起こる機能不全)と考えるべきではないか」とおっしゃっておられて、私も全く同感です。




